フィルムカメラ
日々写真を撮りながら考える。写真の愉しみとは何なのだろうと。現在、私は主に山の写真を撮っている。山に登り「いいなあ」と思う風景に出会えたとき、三脚を立て、カメラをセットし、構図を決める。絞り、シャッタースピードを選び、ピントを合わせ、心を込めてシャッターを切る。そのような動作のひとつひとつが楽しいと思う。写真を撮るとはそういうことなのだ。露出も、フォーカスもカメラ任せで撮影したのでは、写真の愉しみが半減してしまう。
使うカメラはもちろんフィルムカメラだ。デジカメ全盛の今も、このスタイルは変わらない。私の写真仲間のほとんどはデジカメに転向し、デジカメの利点を述べ、私にもデジカメの使用を薦める。冬の山で、手がかじかみながらのフィルム交換は本当にしんどい。そんなとき、フィルムがどこまでも長かったらと思うことがある。しかし、私は頑としてフィルムで撮り続ける。
なぜフィルムカメラなのかと言えば、それは仕上った画質が最も自然だからだ。有限の色、有限の諧調のデジカメには再現し得ないものが,フィルムにはあるからだ。デジカメの写真でも、ここまで自然な描写ができるではないかと友は言う。しかしそれは、高性能のデジカメを使用し、システムを使いこなせる技術を持った人が処理をすればの話だろう。その高級カメラですら、白のトーンの描写は難しく、雪原の白の微妙なトーンが出せずにベタ白になってしまう。多くの人の作品は、薄味の色調で、色をいじり過ぎてド派手な色を出し、いかにもデジカメですという写真を、あまりにも見せられてきた。それは、写真と言うよりは写真に名を借りたアートとでも言うべきものではないだろうか。そのような世界に入り込もうという気はない。フィルムを使いこなせるなら、何の苦労もなく最適な色再現ができるからだ。
また、デジカメの性能が上がれば上がるほど、画像処理能力の高いパソコンを必要とする。高額なカメラと高額なパソコン、そんなお金の余裕は私にはないので、最も安上がりなフィルムカメラを使い続けるのが一番だとも思う。長年使ってきたカメラも、いつまでも愛用してもらえて、きっと喜んでくれているに違いない。
私の写真との付き合いは、学生時代に天文部にいて、天体写真を撮っていたことに始まる。そこでフィルムの増感現像や覆い焼きなどの、暗室作業を覚えた。卒業してからは蒸気機関車の撮影にのめり込んだが、帰宅後の暗室作業は難なくこなせた。昭和51年に仙台のデパートで蒸気機関車の個展を開いたときも、50点の引き伸ばしとパネル製作はすべてひとりでこなした。
国鉄から蒸機の煙が消えてからは、台湾の阿里山鉄道や基隆炭鉱、インドのダージリン鉄道などに煙を求めて旅した。人々の生活に密着したこれらの鉄道は、かつての会津や北海道での鉄道を思い起こさせてくれ、失ってしまった日本の良き時代を実感することができた。そして、ダージリンで紅茶に出会い、その後(株)ガネッシュの社長と知り合って、ガネッシュの紅茶ファンの一人となった。それがやがてはガネッシュの紅茶を扱う商人に変身し、現在に至っている。このような運命のいたずらを、かつてはとても想像はできなかった。
煙が遠い存在となってからは、登山を始め、これまたのめり込むことになってしまい、現在まで続いている。蒸機時代との違いは、モノクロ写真はやめ、すべてカラーリバーサルで撮るようになったことだ。これはモノクロフィルムと違い、自分でいじる余地がない。シャッターを切った時点で写真が完成していないといけない。しかし、これこそが写真撮影の基本である。撮影に当たっては、私はこの姿勢を忘れてはいけないと思う。
デジカメの仲間は、明暗や色調を変えることも、バッサリとしたトリミングも、いくらでもできるという。画像処理は、昔の暗室作業の楽しさを蘇らせるという。そうだろうか。あの氷酢酸の匂いのする暗室作業と、マウスを操作するデジタルの画像処理とは別物ではないのか。ま、そのようなことはどうでもいい議論だろう。意見を述べ合っても、平行線で終わりそうだ。
デジカメの利点は、何といっても、撮影直後に画像を確認できること。これはフィルムカメラには絶対にまねのできないことだ。そして、何枚撮っても平気だし、バンバン撮ってバンバン消すことができるのも、デジカメならではのことだ。安易にこんなことができるのは、うらやましいとも思う。ただ、やたらとシャッターが切れることは、被写体と真剣に向き合う姿勢をなくし、シャッターチャンスをおろそかにしてしまうことに繋がる。これでは撮影の醍醐味を失わせることになりはしないか。とはいえ、写真に対する姿勢は人それぞれ。所詮は趣味の世界だ。デジカメの友に私の考えを押し付ける気はないし、私のフィルムカメラに対する姿勢を変える気もない。私にとって最も合っていると思うのが、フィルムカメラだという、それだけのことなのだから。
さて、今日も愛用のカメラの手入れをしながら、音楽でも聴くことにしようか。
2019年12月記
使うカメラはもちろんフィルムカメラだ。デジカメ全盛の今も、このスタイルは変わらない。私の写真仲間のほとんどはデジカメに転向し、デジカメの利点を述べ、私にもデジカメの使用を薦める。冬の山で、手がかじかみながらのフィルム交換は本当にしんどい。そんなとき、フィルムがどこまでも長かったらと思うことがある。しかし、私は頑としてフィルムで撮り続ける。
なぜフィルムカメラなのかと言えば、それは仕上った画質が最も自然だからだ。有限の色、有限の諧調のデジカメには再現し得ないものが,フィルムにはあるからだ。デジカメの写真でも、ここまで自然な描写ができるではないかと友は言う。しかしそれは、高性能のデジカメを使用し、システムを使いこなせる技術を持った人が処理をすればの話だろう。その高級カメラですら、白のトーンの描写は難しく、雪原の白の微妙なトーンが出せずにベタ白になってしまう。多くの人の作品は、薄味の色調で、色をいじり過ぎてド派手な色を出し、いかにもデジカメですという写真を、あまりにも見せられてきた。それは、写真と言うよりは写真に名を借りたアートとでも言うべきものではないだろうか。そのような世界に入り込もうという気はない。フィルムを使いこなせるなら、何の苦労もなく最適な色再現ができるからだ。
また、デジカメの性能が上がれば上がるほど、画像処理能力の高いパソコンを必要とする。高額なカメラと高額なパソコン、そんなお金の余裕は私にはないので、最も安上がりなフィルムカメラを使い続けるのが一番だとも思う。長年使ってきたカメラも、いつまでも愛用してもらえて、きっと喜んでくれているに違いない。
私の写真との付き合いは、学生時代に天文部にいて、天体写真を撮っていたことに始まる。そこでフィルムの増感現像や覆い焼きなどの、暗室作業を覚えた。卒業してからは蒸気機関車の撮影にのめり込んだが、帰宅後の暗室作業は難なくこなせた。昭和51年に仙台のデパートで蒸気機関車の個展を開いたときも、50点の引き伸ばしとパネル製作はすべてひとりでこなした。
国鉄から蒸機の煙が消えてからは、台湾の阿里山鉄道や基隆炭鉱、インドのダージリン鉄道などに煙を求めて旅した。人々の生活に密着したこれらの鉄道は、かつての会津や北海道での鉄道を思い起こさせてくれ、失ってしまった日本の良き時代を実感することができた。そして、ダージリンで紅茶に出会い、その後(株)ガネッシュの社長と知り合って、ガネッシュの紅茶ファンの一人となった。それがやがてはガネッシュの紅茶を扱う商人に変身し、現在に至っている。このような運命のいたずらを、かつてはとても想像はできなかった。
煙が遠い存在となってからは、登山を始め、これまたのめり込むことになってしまい、現在まで続いている。蒸機時代との違いは、モノクロ写真はやめ、すべてカラーリバーサルで撮るようになったことだ。これはモノクロフィルムと違い、自分でいじる余地がない。シャッターを切った時点で写真が完成していないといけない。しかし、これこそが写真撮影の基本である。撮影に当たっては、私はこの姿勢を忘れてはいけないと思う。
デジカメの仲間は、明暗や色調を変えることも、バッサリとしたトリミングも、いくらでもできるという。画像処理は、昔の暗室作業の楽しさを蘇らせるという。そうだろうか。あの氷酢酸の匂いのする暗室作業と、マウスを操作するデジタルの画像処理とは別物ではないのか。ま、そのようなことはどうでもいい議論だろう。意見を述べ合っても、平行線で終わりそうだ。
デジカメの利点は、何といっても、撮影直後に画像を確認できること。これはフィルムカメラには絶対にまねのできないことだ。そして、何枚撮っても平気だし、バンバン撮ってバンバン消すことができるのも、デジカメならではのことだ。安易にこんなことができるのは、うらやましいとも思う。ただ、やたらとシャッターが切れることは、被写体と真剣に向き合う姿勢をなくし、シャッターチャンスをおろそかにしてしまうことに繋がる。これでは撮影の醍醐味を失わせることになりはしないか。とはいえ、写真に対する姿勢は人それぞれ。所詮は趣味の世界だ。デジカメの友に私の考えを押し付ける気はないし、私のフィルムカメラに対する姿勢を変える気もない。私にとって最も合っていると思うのが、フィルムカメラだという、それだけのことなのだから。
さて、今日も愛用のカメラの手入れをしながら、音楽でも聴くことにしようか。
2019年12月記